ゆかりの文人達の足跡 葉山文学散歩トップ

 
3-1中里恒子「乗合馬車」 中央公論社 昭13

「乗合馬車」に似た家族として
        中里恒子

 ま冬には珍しく風のない静かな日で、今日は、この町から一里ほどさきにある御用邸へ、内親王さま方がお見えになるというので、往来すじのどの家にも、国旗がひらめいている。
御紋章のついた宮内省の運搬自動車が、午前中に通った。
 こうして一年のうち、幾度かの御用邸へのお成りで、彩子は、小さな宮さまたちの立派な御成長ぶりを、その度に垣間見ることが出来た。(中略)
ふと往来の窓に出てみると、鉛筆で光らせたようなぎん色の道路を、宮さまの牛が曳かれてゆく。
 御紋章のついた紺の被服を、あの競馬馬のように着て、柔和な、疎らな長い睫毛を、日にまたたかせながら・・・・母牛、小牛二匹、みなお揃いの着物で、あたたかそうにゆっくり曳かれてゆく、この場合、ほかのどんな美しい動物でも、まことに牛のもつこの穏やかな豊かな、溢れるような情景を印象させ得ないであろう。
彩子は憑かれたようにみとれていた。



中里恒子(明42?昭62)
昭和3年結婚、程なく逗子に住む。「乗合馬車」で女性で初の第8回芥川賞受賞。兄や兄嫁たちの国際結婚を題材にした小説を多く発表する。昭和48年「歌枕」で読売文学賞。逗子、葉山に縁の深い文学者で師にあたる横光利一、川端康成や堀辰雄等と交流が深く、終生逗子に住み、田越川のほとりから多くの作品を世に出した。



3-2 ドロシー・ブリトン「ワルツと囃子」[御即位五十年と陛下の思い出]実業之日本社 昭57

海岸通りで英国式のお辞儀 
        ドロシー・ブリトン
   

考えてみると、私の天皇陛下にたいする気持ちは、多くの日本人の気持とちょっと違うことに気がつきました。まず、二つの点で、私は特別な感じ方を持っているのではないかと気づいたのです。第一は、私が葉山に住んでいることでしょう。葉山のご用邸の近くに一歳のころから住まいを持っていますから、陛下に特別な親しみを長年にわたって感じてきたのでしょう。(中略)それから十年くらいの間、陛下がご用邸にいらっしゃるたびに、お車の行列が、狭い、海岸通りを通られたので、いつも必ず、うちの者一家が、日の丸とユニオンジャックで飾った門の前に建って、みんなそろってお辞儀することになっていました。ただし、お辞儀といっても、幼な子の私は、陛下のお顔をどうしても拝見したいから、日本のお辞儀でなく、頭をあまり下げなくてもいい、イギリスの女の子のする会釈をすることに、自分で決めたのです。陛下は、その私の小さい姿をごらんになって、通りすぎながら、いつもやさしくほほえんで挨拶をしてくださいました。外人の私だけでなく、葉山の人はみんな陛下に一種の親しみを感じていたと思います。そのころはまだ戦前でしたので、もちろんあまり陛下の近くには寄れませんでしたが、陛下ご一家の楽しそうな海水浴も気楽に拝見できたし、漁師船の行列でお出かけになるのも見えて、家々の位置はもちろん海より少し高くなっていましたが、見おろしてはいけないと、誰もいいにこない、とても自然な、気楽な雰囲気でした。


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