ゆかりの文人達の足跡 葉山文学散歩トップ

2−1 L・モズレー 高田市太郎・訳「天皇ヒロヒト」 毎日新聞社 昭41

  一九二五年の春、良子(ながこ)妃はついに自分が懐妊したことを夫に報告することができた。
 たしかに妊娠であることがはっきりすると、正式の発表が行われ、次の数カ月には興奮が高まり始めた。
 摂政の宮と妃とは、夏はたいてい葉山海岸にある”海浜の宮殿”(御用邸)で過ごされたが、これは少なくとも、これほど多くの時間を共に過ごされる最後の機会となった。
”海浜の宮殿”と呼ぶのはお世辞であって、実は質素な海辺の別荘で、庭が海に続いており、後ろは塀でかこまれている。・・・(中略) 西園寺公は天皇にとって物事がはかばかしくない時、葉山の休日は悩みをいやす確実な薬であることをよく知っていた。
天皇は葉山で海越しに富士山や煙を吐く三原山を眺め、夜は松林に特にしつらえた席から月見をし、浜で皇子たちと遊ぶ極めて簡素な生活をされるのであった。(中略)
天皇裕仁にとって葉山での喜びとは、絶えずうるさく付纏う宮廷人から逃れられる事にあった。 

2-2 團伊玖磨「まだパイプのけむり」[炎上] 朝日新聞社 昭47
 突然、凄まじい大音響が空に響いた。
鳶の輪が乱れ、梅の枝の向こうを、驚いた五、六羽の鵯が高啼きしながら斜めに横切った。
もう一度、大音響が轟いた。「何だろう、何うしたんだろう」ペンを置いて僕が言った。
ストーヴの傍で家計簿の計算をしていた家内が、「変ね、雷よ、こんな季節に」と言いながら立ち上がると窓を開けた。
 周圍は再び静かだった。冷たい空気が部屋に流れた。
「何處かに落ちたのかしら、変ね、一月に雷なんて」家内が言いながら窓を閉めた。
「今日は二十七日だろう、確か旧暦では一月一日の筈だよ」(中略)三人は火の方向に向かって、門を出ると大通りの方に駆け出した。門から道に下りる坂からは、まるですぐ眼の前に感じられる程近く、紅蓮の炎の塔がが狂い廻りながら空に昇るのが見えた。
 沢山の人が炎の塔に向かって道を走っていた。「御用邸だ、御用邸が燃えている」走る人達の中から叫び声が聞こえた。
 大勢の人と、焔に向かって家の前の道を駆けて行くと、僕達はすぐに御用邸前のバス通りに出た。
 もうそこからは、御用邸の松林をシルエットに、凄まじい火の海が眼の前に迫り、火事が予想以上に大きいのに驚かされた。

 

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