ふだん何気なく接しているのに、町を離れて戻った時などに「ああ、これだ。懐かしいなあ」と感じさせてくれるもの、ありますよね。知らず知らず、言葉づかいも会話のテンポも葉山流に戻ってゆくあの快感。葉山に目に見える「宝物」は「たくさんあるけれど、耳で味わう「ことば」も大切にしたいひとつですね。「土地ことば」が豊富なほど、その地域には豊かな環境と歴史が育まれ、多様な生き方が営まれている証といえるのではないでしょうか?
新企画のこのコーナーはそんな誰にも懐かしい楽しい「ハヤマ語」を毎回一つずつ、外国語感覚でご紹介していくコーナーです。次代にぜひ継承したい方言もあれば、いまどきのサーファーことばも収録予定です。

 漁師、釣り人、ヨットマン、ダイバー、農家、林家、酪農家、御用達業者、クラフトマン…の皆々様。どうぞ、これからは耳を全開にして「ハヤマ語」の達人になりましょう。
「Let's speak! やしやし(がんがん)やろうぜ。」

記事:くれ竹通信Vol.9[2002.9]より
 
《意 味》★渚、波打ち際  ★略して【しょんばた】
砂浜や岩場に波がザワザワ打ち寄せ、長靴でもバシャバシャ入れるような深さの場所。
「三浦や相模湾一帯でも使われている。」(飯田さん談)言葉です。

《語 源》
「潮(ショ)・見る(ミン)・端(ハタ、バタ)」
― 漁師さんの生活はその日の入り潮、引き潮具合と密接な関係があります。明けても暮れても。「しょみんばた」は庭先のようなものです ―

《用 例》「舟はしょみんばたまであげりゃいい。」

《関連語》
【かた(慣用言葉)】
(肩)いっぱい・たくさん
《用例》 「今日は、かたあった
(量がいっぱいあった)よ。」


【たね(慣用言葉)】少ない
《用例》 「今日はたねだったよ。」

《生活文化》
 「専業漁師と釣舟漁師がいて、組合員は150人
ほどです。5年前に定置網をやめました。乗り手がいない。それまでも葉山の漁は青森から出稼ぎの住み込み漁師さんに任せてたんですがね、その日の漁獲量と人件費やらを比べると赤字の連続。ほかにも、探知機がよくなって魚が網に入る前にごっそり持っていかれるし、冷凍技術が進み、干物だって何ヶ月も前から保存して大量に売れる時代です。採算を思えば、気持ちはあっても市場は開けないんです。いまの状態だとたくさんとれてもそっくり河岸に出しちゃうからね。地の人にまで廻っていかない。地の人にも売れるルートができればいいんだが……。
 漁師と仲良くなって分けてもらえばいい。安くてうまい魚の食べ方やおろし方を教えてもらって、自分でおろす技術を身につける。いまはそれが一番いい方法でしょうね。」  (飯田 實 漁協組合長・談) 

記事:くれ竹通信Vol.10[2002.11]より

 

第2回「タック・ジャイブ」ヨットマンの基本語
《意味》★タック:風上に向かって方向転換する。
★ジャイブ:風下に向かって方向転換する。

《言葉の周辺》
ヨットマンの醍醐味。それは、刻々と変わる風を見、波を見、潮の流れや雲の早さを読み、愛艇を自分のからだの一部と感じつつ、その日自分が思いを描いたベストイメージの走りにどれだけ近づけるか、にあるそうです。
『タックとジャイブは基本中の基本。ディンギーでもクルーザーでも、海の上で飛び交うこれらは共通語です。』

《生活文化あれこれ》
「ハーバーで50年来、保管や修理をやっています。
昔はお金持ちが自分のヨットにお客を招待して遊んだもんだが、バブルになると企業や大学のヨットが一挙に多くなった。この10年ほどはサラリーマンリタイア後に仲間同士で持つ60代が多いね。オーナーは大学や企業のヨット部出身のような経験者が大半。操船技術は先輩や親兄弟、仲間達から見よう見まねで覚える。そういう意味じゃ、大衆化したとはいえ、まだ特殊な世界かもしれない。いま250挺ほど預かり、地元は3分の1弱です。海に出ると陸のことは全く忘れ、なんにも考えない。命からがら戻れて(2度とコリゴリだ)と思っても、辛いことはすぐに忘れてまたすぐ行きたくなる。不思議だね、船は。」 
(鈴木 勇/葉山ヨットサービス代表)


記事:くれ竹通信Vol.11[2003.1]より

 

第3回「ぼらがり」
《意味》ボラ(ぼら)刈り
    ボラを刈ること。山の下刈り。
《言葉の周辺》
 「ボラ」というのは笹や茅のこと。放っておくと3〜4年であっという間に背丈を越える高さになる。刈り取った笹はよく燃えるので、かまどの炊きつけ材として重宝された。茅は茅葺きの家でおお馴染みの素材。
《生活あれこれ》
「ボラ刈りはよく耕作されている土地には必要ないんですよ。大きくなる暇がないからね。膝の高さならカマで刈れる。けど、肩を越えると細い竹林をかき分けるみたいで、労働もひと苦労です。成長が早いからその土地に勤勉な人間がいるかどうか一目瞭然(笑)。刈った笹や茅も無駄なく使ったんですよ。屋根の葺き替えも地域の古老が指揮しました。自給自足というか、いろんなリサイクルの仕組みがあったんですね。
たまには集落総出でボラ刈りのこともあります。農作業の合間のお盆前の7月と正月前の12月とかね。皆で汗を流した後はちょっとした宴会。ボラ刈りは地域のいろんな問題を話し合う交流の場にもなってきたんですよ。でもそれも高度成長期頃から一挙に変わったなあ……」
※ 次号につづく 

記事:くれ竹通信Vol.12[2003.3]より

 

 

 

 記事:くれ竹通信Vol.13[2003.5]より
 
−観光客や通行人がなにげなく通り過ぎてしまう 一見、ふつうの 食堂。しかし、ここが知る人ぞ知る仲買人の仕事場なのです。
《意味》¥500、¥1,000、¥10,000、仲買人が取引に使う符丁。
《ことばの周辺》「獲れたての魚を漁師から直接仕入れ、料理屋や旅館、魚屋などプロ達に卸す魚仲買人の姿はかつてこの町でごく自然に見られた光景でし た。細谷さんは現在、葉山に2軒ある仲買商の1人で、母娘2代の仲買人という希少な存在。取引が行われる店の奥から魚と葉山の関係を見続けてきました。 

 

「この葉山港で45年、仲買と食堂を兼業してます。その日揚がった魚を毎日仕入れ,地元や江ノ島、鎌倉は当日中、翌朝は築地の河岸などお得意先に届けるのがウチの仕事。河岸の仲買人さんと違って取引は店の奥の作業場でやります。昼食のお客さんが引ける頃、めいめいが車やバイクで魚を届けに来るんで、その場で魚を見て値を決める対面交渉です。母の代から頼んでいる漁師さんは12軒。漁師さんもお得意さんも皆、2代目です。昔は料理屋さん達は漁師からじかに買えず、仲買人を通してたんですよ。仲買にはいい魚が集まりやすいですね。持ちこまれた魚は全部買取ることになっているから大変。その日何が揚がるかわからないからね。それが醍醐味でもあるんですけれど…」
     

(魚仲買人/食堂経営 細谷美代子さん・談)

 

 

記事:くれ竹通信Vol.14[2003.7]より

  − 毎朝、獲れたてのアンコウが浜に山積み。タダ同然でも引き取り手がなくて、しかたなくまた沖に棄てる。そんな豊かすぎる海を見ながら育った。 −

《ことばの周辺》 
 「母の背中を見よう見真似で、中学の頃から手伝い始めました。昭和40年代頃は魚も全盛期だったわねえ。面白いほど獲れて、食卓のおかずに魚がのらない日はないくらい。今でこそ高級魚のアンコウも当時は腐らせて肥料にしたくらいです。ウチはヨットハーバーが目の前だから大きなレースや国際大会が開かれる度に大変で、お祭気分でした。何十人分ものお弁当を汗拭き拭き徹夜で準備して応援したりね。葉山らしい中学時分の懐かしい思い出です。保養所がいっぱいあった頃は、お得意先の料理屋さんに団体客が大勢入ったんで、ウチにも高級魚の注文がよく来たもんです。
 最近の人はアジの開きがあの形のまま海を泳いでるって思い込んでるとかって話も。いえ冗談じゃなくて。
驚くわよねえ(笑う)。いまは食べ物は魚だけじゃな
いし、やっぱり時代の流れですよね。

 漁師さんがバイクや軽トラで届けに来るのは、獲れる量が毎日そのくらいしかないってことなんです。海がある町なら「目の前の海から獲れた魚をふつうに食べられる」って思う人は葉山人でもわりと多いけど、地物はそんな獲れないんですよ。
 仲買の取引きは符丁を使って「1パイ(一箱)幾ら」の計算でやります。漁の苦労がわかるから高値で買ってあげたいけど、最近はお得意先から大きな注文は少ないし、相場との釣り合いもあるしで、間に立つ仲買は大変。喧嘩ごしになったり、承知で損を破ることも。そんな時は一瞬、「もう、や〜めた」って思っちゃう。けど皆2代目で気心は知れてるし、この仕事に女だからって不利なことはないわね。 
 海が台風や時化で出漁できない日以外はウチも休めません。昼までは食堂、午後からは仲買業、夕方から配達が日課です。友達と出かける日時の約束できないのが辛いわね。でもほかの仕事探したりとか、余所の土地に出ようとか思ったことが一度もないのよ。これからの時代の人はこんな苦労はできないでしょう。後継者はいないけれど、せいぜいこの葉山の海に付き合っていこうと思いますよ。」
( 魚仲買人/食堂経営 細谷美代子さん・談 )


 

記事:くれ竹通信Vol.15[2003.9]より

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