海があり、山があり、トンビがいて、
平和な里に笑顔の人たちが暮らす
・・・・・そんな町が葉山です。
みんなでそんな葉山の魅力を語り合いませんか。

堀口大學さんの葉山
詩人で名誉町民の故堀口大學さんの 葉山讃歌です。

僕の葉山ぐらしも、早いもので、早くも二十五年になる。み雪の越の高田から、移 り住んだのが還暦の一年前。
 身の老いを養うには、最適の地だったと 今更ながら、葉山の山に、海に、空気に、 太陽に感謝している。何しろ夏も冬も、東 京とは気温が二、三度はちがうのだ。
 夏は避暑地、冬は避寒地、終年快適に暮 らせ、この土地柄はありがたい。
 おかげで病気らしい病気ひとつせずに、 仕事も気持ちよく出来た。

(昭和50年「葉山の四季」パンフレットより)  
記事:くれ竹通信VOL.6より  
トップランナーは『葉山町歌』

CPスタッフのAさんをして“名島あたりを手漕ぎのボートでゆったり遊ぶ気分のバルカローレ(舟歌)のような”“ 曲もよいが詞も素敵”と言わしめたうたです。 昭和57年に制定されました。


 1、山はみどりに海青く   遠見の富士はけざやかに
  近い名島の大鳥居   竜宮城もあのあたり
  凪美しき葉山かな   夢ゆたかなる葉山かな
 2、花の木を名の山つつむ   春の炎の紅つつじ
  夏は夏とてあじさいの   にせ紫の濃き淡き
  花美しき葉山かな   夢ゆたかなる葉山かな
 3、町のまほろば一色に   宮居しずまる御用邸
  町の誇りと町びとの   ふりさけ仰ぐ松の空
  人うつくしき葉山かな   夢ゆたかなる葉山かな
えっ!葉山に♪♪♪があるんですか?
校歌や町歌は似たようなものが多いが、葉山の 町歌はとても素晴らしい。
6/8拍子のいわゆるバルカローレ(舟歌)で、 名島辺りを手漕ぎのボートでゆったり遊ぶ気分が 出ている。
 森戸川沿いの道をぶらつくテンポでもある。
 曲も良いが詞も素敵だ。
…近い名島の大鳥居竜宮城もあのあたり…
 おや、葉山に竜宮城があるってご存じなかったですか?
 乙姫様の御前で舞い踊るタイやヒラメ、その周 りにはお使いのカメ、カツオ、サバなどたくさん 生きものがいる。いや、今では「いた」と云うべ きか?四、五十年前には二時間も釣ればキスやメ ゴチがバケツ1杯になったそうだが、今では一日 かけてもそんなにたくさんは釣れない。
 富士や伊豆半島を背景に夕焼けのピンクに染ま るとき、この海はそれはそれは豊かに見える。
「もう半分死んじゃってるよ」という漁師さんの
声は忘れられない。
 でも、この海は本当に美しい。

    遠花火竜宮城の祭りかと

(一色在住 64歳 Y・A)  記事:くれ竹通信VOL.6より

片道1時間50分の通学時間でも

 家が海に近く、幼い頃の遊び場といえばもっぱら海。防波堤で釣りをしたり、岩場でカニを捕まえたり。高校1年のときウィンドサーフィンと出会い海がさらに身近になり海と接することが日常 となっていった。

 卒業後、都内の大学進学に伴い一人暮らしを始めたが都会の生活になじめず葉山に戻ってきた。当たり前のようにあると思っていた葉山の環境を離れてみて初めて良いものだと知ることが出来た。

 学校が休みの時は必ずと言って良いほど海に出 る。サーフィン仲間の中には、わざわざ都心から やってくる人もいる。そういった人たちによく言 われる。
「いい所に住んでるね」。

 朝、満員電車を乗り継ぎ片道1時間50分の通学。もっと時間をかけて葉山から通っている友人も多くいる。私を含め、皆「いい所」である葉山 からは離れられないという気持ちは共通なのかもしれない。

(堀内在住 22歳 N・O)記事:くれ竹通信VOL.6より


往年の元町商店街通りを懐かしむ

 昭和の始め頃、東京に住んでいた私の家族は、毎夏、最初は逗子に後に葉山に部屋を借りていた。別荘を持つほどの経済力を持たない人たちのこうした避暑を楽しむ姿が多かった。
 葉山の人たちも夏の間は狭い所に移り、部屋を貸してかなりの経済を支えるのが一般的であった。逗子駅に降り立ち、葉山までは馬車であった。やがて、バスが通り、乗り切れないほどであった。森戸海岸には、避暑の各家が、よしず張りの小屋を持っていた。ビリヤードや弓の店が並んだ。森戸には、大家の別荘が集まっていた。
 夕方になると、みんな元町商店街通りにくりだし、お互いに再会の挨拶を交わしたりして社交場であった。私たちも「あれは金子さんの娘さん、こっちは倉持さんのお嬢さん」とか言い合っていた。森戸橋を渡り、海岸の夜店を徘徊し、「菊水亭」でかき氷を食べ「力餅屋」で「葉山饅頭」を買い、「幸福堂」で立ち読みをするのが、パターンであった。
 戦後は葉山に永住することになり50年を越えたが、近年の森戸の激変に隔世の感を強くしてい る。

(堀内在住 79歳 S・W)記事:くれ竹通信VOL.6より


葉山のとりたての魚、食べたことあるかい? 

 ----うめえどぉ。丸っこくてピチピチしてる。全国どこ行ったって、こんなのはめったにお目にかかれないよ。だから腹いっぱい食べさせてやりたいね。みんなに。それが俺たち漁師一筋の葉山自慢というか、願いだね。

 海が目の前のこんな葉山でも、ふつうによく食べてるのはたいていがよその海の魚。葉山の住民に(魚の味はこんなものか・・)って思われてるとしたら、たまらないね。でも無理もない。なんせ舟の乗り手が少なくなった。

 自然相手だから今日は何がいくら捕れるか、その日その日で違う。いつでもどこでも誰にでも、安く簡単に手に入るってわけにはいかなくなっちゃった。ふだんあたりまえに地物が欲しいと思ったら、最初は手に入りにくいだろうが、もっと食べてもらうことだね。旨くて売れれば安くなるし、地元葉山で定期的に市も開ける。もっと買いやすくなるよ。

 それから、そんな魚を育てる海もきれいにしておかなけりゃ。海に注ぐ川もきれいにして、その奥の山も豊かにしておかなけりゃ。いろんな生態循環のいっとう最後にくるのが海。昔はゴミの投げ捨てなんかがひどかったけれど、最近はずいぶんきれいになってきた。

 いろんな種類の魚がこれだけの広さの葉山の海中にたくさん生きている。そんな海からのせっかくの贈り物みたいなもんを、食べないのは本当にもったいないよ。----

(飯田 實 漁協組合長,三橋直吉,安田清忠・談) 
記事:くれ竹通信VOL.10より

 

千枚田の曲線美

「くれ竹通信Vol.7」を見た。そこには50年以上前の上山口・杉山神社付近の千枚田の写真が載っていた。その写真に惹かれ、私は友人とその現場に赴き、葉山の過去と現在を比べてみることにした。過去の写真と現在を比べてみると、たった50年という歳月でこれほど変化するものなのかと痛感しただけではなく、その激しい変化のなかで守り通してきた「千枚田」の美しさには圧倒されるものがあった。

 葉山の町には「曲線美」がよく似合う。千枚田のあぜ道が曲線であるように、葉山の川や山々の曲線も美しい。道が曲線であるように、葉山の川や山々の曲線も美しい。直線を重視した「開発」のイメージから脱却し、地域に溶け込み曲線を重視した「環境」のイメージを守り通してほしい。
 千枚田は現代の私達に対して「日本人のもつ美意識」を問いかけているのかもしれない。

(佐藤真久 秋谷在住)写真2枚記事:くれ竹通信VOL.9より

葉山海岸の自然

葉山しおさい博物館長 池田 等

「葉山の良さは?」というお尋ねがあれば、第一に「海の自然」と即答するのは私だけではないと思います。葉山の海岸線は、南北5キロあまりの短い距離でありながら、砂浜や岩礁がいくつも組み込まれ、まるで箱庭のような地形をしています。そこへ森戸川と下山川が栄養を運び、さらに南からの黒潮系暖流の影響を受けるなど、多様な生物が生息するための条件が揃っています。中でも葉山町が天然記念物に指定している「芝崎海岸」は、三浦半島でもっとも生物相が豊かな所です。この芝崎の周辺は、かつて昭和天皇が調査され、ハヤマコツブクラゲなどの新種やサメジマオトメウミウシ(鮫島は芝崎にある島)などを発見されました。

いっぽう葉山の沖(相模湾)はどうでしょうか。葉山沿岸から秋谷沖の大陸棚までは遠浅な砂泥地が広がり、以前は手繰船(打た瀬)が大きな帆を揚げて綱を曳いていました。獲物はヒラメ、アマダイ、アンコウなど。このような高級魚をはじめとした底生生物も豊富です。また、沖合の所々には根(岩礁)が点在し、たとえば葉山沖の「アマダイ場」という漁場からは、昭和天皇時代に多くの新種が報告されました。サガミナガニシ、ハヤマヒラコガイ、ハヤマエバリアなど学名、和名に葉山、相模の名が付けられています。これらの生物が世界に顔を出していることで、葉山海岸、相模湾が世界的になっています。このような「葉山海岸の自然」の価値を再認識していただき、海を保全する心が、より芽生えてくれることを願っています。

ハヤマエバリア ハヤマヒラコガイ

記事:くれ竹通信VOL.11より

〜森戸川上流ハイキング〜

チャールズ スミス(長柄在住)

6年間の東京での生活の後、この地に引っ越してきたのは15年前のことでした。ここに来てから、森を求めて遠くまで出かけなくてもすむようになったのは、私のようにアメリカの森と山で育ったものにとってたいへん心の安まることでした。海が近くにあることを楽しいと感じる一方で、木々に被われた山に気軽にハイキングに行けるということが、葉山を自分の故郷のように思わせてくれています。
 長柄に住んで6年になりますが、このところ特に楽しみにしているのは森戸川上流へのハイキングです。ここにはいくつもの長いハイキングコースがあります。気楽な散歩をしたい人は、森戸川上流へと続く道に沿って歩けば、夏、運がよければ恥ずかしがりで美しいカワセミを見かけるでしょう。(以前は日本中どこでも 見られましたが、環境破壊によってだんだん 姿を見なくなっています。)もっと険しいハイキングをしたい人には、渓谷沿いの急な斜面を上るたくさんのコースがあります。幸いなことにハイカーを気遣って、最も急なスロープには安全に上り下りできるようにロープが張ってあるところもあります。
 人工衛星から撮った神奈川県の写真を見ると、灰白色の風景の中に森戸の森がまるで緑色の宝石のように際立って見えます。この森の中で、人は孤独と静けさをみつけることができます。自動車の音の代わりに水の流れ、木々をそよぐ風の音、鳥のさえずりが、私達の心に染み渡っていきます。私たちに喜びを与えてくれる自然の状態がいつまでも保たれるようにと願っています。
( 訳 : スミス 直美 )

 〜 原 文 〜
After living in Tokyo for six years I moved to the Zushi-Hayama area 15years ago.Upon moving here,I found I did not have to travel far to get into forested places which, being a person from a forested mountain area in the United States, came as a great solace to me. While I enjoy being near the sea, what really makes me feel at home in this area is being able to easily go hiking through tree-covered mountains.

 

I have lived in Nagae for the past six years, so of particular enjoyment to me now is the upper Morito River area. It offers a wonderful range of extensive hiking trails. One can take a casual stroll along the foret road that goes to the headwaters of the river,and with luck in the summer see shy but beautiful kingfishers-a bird oce common throughout Japan, but now increasingly rare due to habitat destruction.For those who enjoy more arduous hiking,there are many trails up the steep slopes next to the gorge,some of which fortunately have ropes placed on them to aid hikers to safely ascend and descend th steeper slopes.


When looking at Kanagawa Prefecture in a Landsat photograph,Morito forest stands out as a green gem in an ashen landscape. In this forest one can find solitude and tranquility, with one's mind permeated not by the sounds of motorized vehicles but rather by sounds of nature: flowing water,wind rustling through trees and the songs of birds.May it always be preserved in this state for people to enjoy.

記事:くれ竹通信VOL.15より
☆ 葉山にないもの、葉山にあるもの☆ 

東海大学工学部建築学科助教授  小沢朝江

葉山の古建築の調査にかかわるようになって2年が経つ。葉山を訪れたことは以前にもあったが、調査を通してはじめて気づいたことは多い。
 葉山の魅力は、自然の地形を生かした町並みが継承されていることだ。開発でかつての骨格が失われていく町が多い中、葉山は山裾や海岸線に沿って道が走り建物が並ぶ、
明治以来の「町のかたち」がそのまま残っている。最近、これは葉山に鉄道の駅がないためだと気づいた。駅ができると、そこから延びる道ができ、商業の中心も移って、町のかたちは一変する。しかし葉山は、駅を持たないことで、駅に縛られない町並みが残ったといえる。
 駅がなくても葉山には、他の町にない特別なものがある。一番大きいのは御用邸の存在だろう。御用邸は、明治期には鎌倉や小田原にもあったが、いずれも震災後に廃止され、なかで葉山だけが現在まで存続した。
 私の研究室には、葉山の表具屋の3代目を継ぐ学生がい る。お祖父さんもお父さんも代々御用邸の襖や障子を手がけ、さらに御用邸だけではなく、葉山の主だった住宅の仕事にも多く関わったという。御用邸は、戦前の日本では最も質の高い和風建築のひとつだ。表具屋だけではなく、大工や左官、畳屋など御用邸を支えた職人たちが、その腕を一般の別荘や住宅にもふるったことで、葉山に質の高い和風建築が多く作られた。
 葉山にないもの、あるもの。どちらも、葉山の魅力の秘密なのである。


記事:くれ竹通信VOL.14より

 

〜歴史の奥行きの深い葉山〜

私は隣町に住む者ですが、改めて葉山の町を見直してみると、その歴史の奥行きの深さに驚かされます。この地に足跡を残した無数の人々の歴史の厚みが、逗子の場合よりも、鮮明に伝わって来る所があります。
木古庭の馬の背縄文遺跡、長柄桜山古墳、一色打鯖古墳、伝良弁開基の杜山明神の世計神事と神婚祭、鐙摺館と亀の前、森戸神社と頼朝、伝平平兼盛や猪股小平六の鎌倉期五輪塔等々、鎌倉時代までの遺跡が沢山あります。
家康が関東入国後直ちに古寺社に与えた朱印状は、一色杜山明神、上山口新善光寺、大昌寺、木古庭本円寺、堀内森戸明神、相福寺、長徳寺にあります。中世にこれらの古寺社と共に我々の祖先の生活はあったのです。
近世以降の民衆の生活の歴史は、近世以降の民衆の生活の歴史は、村々に残された地方文書が語ります。幸い葉山では、木古庭の伊東家に膨大な中・近世資料があり、昭和三十三年、葉山町で伊東家文書を中心に、石川(上山口)沼田(下山口)高梨(堀内)守屋(同)綾部(長柄)家の古文書を出版しましたが、それ以後、やっていません。地方文書の収集整理は、葉山町民の手である程度できます。是は今、公・民一体となって、未来の葉山の為に始める仕事だと思います。
また私は、明治以降、高級別荘地として特異な発展を遂げた葉山の歴史を学ぶ事により、近現代の日本と世界の歴史が、心中に浮き彫りになるような魅力を感じます。
黒田 康子(逗子市在住)


記事:くれ竹通信VOL.16より

記事:くれ竹通信VOL.17より
 

NPO法人葉山まちづくり協会HOME

 All Rights Reserved ©NPOfor Better HAYAMA