53 大正天皇崩御・昭和天皇皇位継承の地

 
分類/区分 町指定文化財第38号 記念物 史跡
所在地 一色2123-1葉山しおさい公園内 散策マップ《一色》12番
所有者等 財務省(旧大蔵省)  
指定年月日 昭和61年4月29日 員数 ―
   

葉山御用邸付属邸の歴史
 この葉山しおさい公園は、葉山御用邸付属邸 の跡地で、昭和62年6月3日開園し、面積は 18,009,28u(約5,500坪)ある。ここはもと、岩倉具定侯爵、金子堅太郎伯爵、井上毅子爵、の各別荘を、大正6年7月にお買上げになり、澄宮[すみのみや](現三笠宮)邸として大正8年6月に竣工したものである。

1 大正天皇崩御の地
 大正天皇は、葉山御用邸をこよなく愛され、最後の行幸[ぎょこう]は、大正15年8月10日、付属邸で御病気ご療養のためであった。当時、たまたま本邸が関東大震災で損傷し、再建中であったため、付属邸への入御であった。陛下には以来、同邸において療養につとめられたが、同年12月25日、午前1時25分、遂に崩御されたのである。時に聖算[せいさん](御年齢)48歳であった。

1 昭和天皇皇位継承の地
 御父陛下が崩御された悲しみの中、旧皇室典範第10条の定めに従って、皇太子陛下(後の昭和天皇)は直ちに葉山御用邸付属邸において天皇の位におつきになられた。
 新天皇陛下は、まず登極令[とうぎょくれい](旧皇室令)第1条によって践祚[せんそ](旧皇室典範)の式を行うため、剣璽渡御[けんじとうぎょ]の儀を12月25日午前3時15分より葉山御用邸付属邸において挙げられた。この時刻は、あたかも宮城(皇居)賢所[かしこどころ]で践祚の儀式が行われようとして、鈴の音が響きはじめたのと同時刻であった。
 第124代の宝祚[ほうそ](皇位)をふまえた新天皇陛下は、徳川侍従長、奈良侍従武官長、一木宮相[いちぎきゅうしょう]以下を従え、伊藤式部長官の御先導により静かに出御されたが、陛下の御左腕にまとわれた喪章も御悲しみの象徴として御痛わしく拝せられた。時に御年26歳。尚、宮内省から発表された付属邸における剣璽渡御の儀式に参列した者は左記のとおり。
皇 族
高松宮、閑院宮、伏見宮、山階宮 藤磨王、賀陽宮、久邇宮、梨本宮、久邇宮多嘉王、朝香宮、李王の各殿下
関係者
大勲位東郷元帥、西園寺公、若槻内閣総理大臣、倉富枢府議長、奥元帥、井上元帥、上原元帥、宇垣陸相、財部海相、幣原外相、岡田文相、安達逓相、江木法相、片岡蔵相、井上鉄相、町田農相、藤沢商相、渡辺式部次長、牧野内大臣、一木旧相、関谷次官、聖上(陛下)の供奉、徳川侍従長、奈良侍従武官長、土屋侍従、今村侍従武官
剣を捧棒持させるもの、原侍従。璽[じ]を捧持させるもの、松浦侍従。御璽国璽を捧持させるもの、松井内大臣秘書官。剣璽を捧持させるもの、西侍従武官。

践祚の行われた部屋は、昭和56年11月再建された御用邸本邸の中へ移設されている。

参考:葉山の文化財

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