古将の墓

54 「古将の墓」並びに「副葬品」

 
分類/区分 町指定文化財第39号 記念物 史跡
所在地 一色1355 散策マップ《一色》2番
所有者等 実教寺  
指定年月日 昭和62年10月29日 員数 1ヶ所
   

実教寺にある古将の墓に就いて
1 ー色実数寺にある「古将の墓」は、明治26年(1893)葉山御用邸が創建されるに当り取り除かれた稲荷塚に、埋葬されていた7人の遺骨を祀ったものである。

1 この稲荷塚は海辺から約一丁(100m)の砂丘上の古墳で、一色打鯖2104番地鈴木太郎兵衛所有地にあったのである。

1 葉山御用邸内古墳に就いての文献は、明治36年再版の東京帝国大学発行「古墳横穴及同時代遺物発見地名表」に
  相模国……三浦郡葉山村一色 古墳
   石榔[せっかく]・人骨・骨鉄
   佐藤伝蔵報人146号334頁
であるが、明治31年5月28日の東京人類学会雑誌第146号には古墳より骨鏃を出すとの事実は、芝丸山の古墳を除く外従来余り聞かざる所なるが、友人小林和止氏の言に依れば、 相模国三浦郡葉山村字一色宮内省御料地内御用邸建築中、海辺より一丁許の所にて地下凡そ八尺許のところの石榔中より、人骨と共に図(A)に示す如き骨鏃を発見せりと云う。実 物を一見したるのみにては、殆ど石器時代の遺跡より発見する者と区別する能はざるなり。(佐藤伝蔵)
とあり又
  この古墳の副葬品は、檀家の一人である一見栄次郎氏が、一旦東京へ持ち去っていたも
 のを、所蔵者が死亡したので葉山へ返元されたものだという。故に副葬品は発掘直後実教
 寺へ渡したものではない。その送り状次の通り
 角製矢根 同下ナシ 同上ナシ 下ナシ
 鉄製矢根
 鉄製矢根三ツ折レ居ル 鎗 小剣四ツニ折レ居ル 合八品 但シ十四包
 外二 二包 右之通正二葉山一色村へ送付仕候間御納手 被下度候也
  明治28年3月吉日 一見栄次郎
   鈴木頼学様
 となっている。

1 葉山の古将の墓の墓記には
「明治26年葉山御用邸御建築地盤鋤取リノ際人骨ヲ発掘セラレ、其ノ四面ハ丸石ヲ以テ囲ミ恰モ巨大ナ石棺トナシ七人ヲ合祀アリ、内一人ハ将ナルべシ石棺ノ中部二横臥セシメ其ノ前二婦女一人及齢十二三ノ少年卜認ムル者一人、左右二二人ヅツ四人駢列アリ。骨格壮大身躯何レモ六尺己上卜思料ス。熟考スルニ該遺骨卜共二角製及鉄製鏃其ノ他武器類葬リアリシハ往昔戦死者又ハ殉死者ノ屍ヲ祀リシナラン。」とある。


実教寺 
31 実教寺の庚申塔   54 「古将の墓」並びに「副葬品」

参考:葉山の文化財

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